セブ島留学まとめ

【内藤コーチインタビュー】フィリピン(セブ島)留学&テニスキャンプ情報

更新日:2018年4月25日
元日本代表監督の内藤コーチの写真

※写真の一番右側にいるのがコーチの内藤です。

今回の記事では、2018年の第3回フィリピン(セブ島)留学&テニスキャンプでテニス指導を担当してくれるNPO法人デフテニスジャパン代表の内藤コーチに、昔の選手仲間の株式会社DELPO セブ島留学サポートセンター代表永井がインタビューしました。

【リンク】フィリピン(セブ島)留学&テニスキャンプ2018の情報はこちらです。

※2万字以上の長いインタビューなので、はてなブックマークなどで何時でも読めるようにしておき、時間がある時に最後まで呼んでいただけたら幸いです。

このインタビュー目的としては、永井がフィリピン(セブ島)留学&テニスキャンプをお客様に紹介した時に「NPO法人の代表なんて怪しい。内藤コーチとはいったいどんな人なのか?普段の活動は何をしているのか?」という声が上がったので、その誤解を解くのが目的です。

テニスプレーヤーとして全日本クラスでもあり、コーチとしても評価が高い内藤コーチが、なにゆえ耳の聞こえない聴覚障害を支援する活動をするようになったのか?また、内藤コーチ自体はいったいどんな人なのか?どんな経験をしてきた人なのか?などなどを永井が聞き出します。

セブ島留学サポートセンター代表永井俊一の写真

※写真は株式会社DELPO セブ島留学サポートセンターの代表、永井

しかし、皆さんに情報を伝えたいと考えてインタビューをした結果、逆にインタビューをした永井が内藤コーチの事を深く知る良い機会となりました。このインタビューを通して、人間味溢れる内藤コーチの事を知っていただけたら幸いです。

最初に

このインタビューを読んでわかる事は以下の5つです。

  1. フィリピン(セブ島)留学&テニスキャンプ2018の主催者の内藤コーチの事がわかる
  2. アメリカのテニス留学の事が少しわかる
  3. 日本のテニス指導とアメリカのテニス指導の違いがわかる
  4. NPO法人デフテニスジャパンの事がわかる
  5. NPOの現実がわかる

 

学生時代

「こんにちは。インタビューよろしくお願いします」

よろしくお願いします。

「では最初に、内藤さんとテニスの出会いから教えてください。内藤さんはテニスを何時から始めたんですか?」

テニスを始めたのは高校の時からです。高校の3年生の時に全国大会、インターハイ、全国ジュニアの補欠に選ばれて・・・

「え?静岡県ですよね?高校からテニスを初めて全国大会の補欠って凄いじゃないですか」

はい。周りの子たちは10年くらいジュニアのテニススクールで選手活動をしていました。なので、僕が2年半で追いついた事を考えると、『もし僕が10年たったら凄いことになるんじゃないかな?』と思って、高校卒業後もテニスを続ける事にしました。

「当時は有名テニスクラブ全盛の時代ですよね。けっこう衝撃的なんですけど(笑)」

ですよね(笑)

アメリカテニス留学時代

で、高校を卒業した後にテニスをする場所を探していたら、テニス雑誌にアメリカのテニス留学の記事が載っていたんです。そこで閃いて、そこからアメリカに2年半行きました。ただ、その時は英語は全く話せず、高校の英語のテストでも赤点スレスレでした。だから将来英語が話せるようにとか、英語に興味があった訳ではないんです。ただただテニスが出来る場所を探したらアメリカにあった。だからアメリカに行った。それだけなんです。

当時のテニススタイル

「少し話を戻しますけど、日本にいた時はジュニア上がりの子たちを倒して県のトップまで勝ち上がっていったということですよね?」

そうですね。

「その時はどんなプレースタイルで戦ってたんですか?」

めちゃくちゃ粘りでした。

「あーやっぱり(汗)」

粘るだけですね。体力とフットワークには自信があったので、めちゃくちゃ走り回って返して、最終的にはパスで抜くという感じです。

「なるほど。ジュニア上がりの攻撃タイプが一番嫌うプレースタイルですね。ジュニアの子たちがガンガン攻めてきたのを、とにかく守りきる。みたいな感じですよね?」

はい。そうです。それでアメリカに行ってもそのプレースタイルは変えませんでした。

「えっ???アメリカに行ったらみんな攻撃的なテニスをするのかと思っていましたが・・・そんな事はないんですね?」

そうなんです。アメリカ人は攻撃するのが好きなんですよ。だから・・・逆にそれを粘りきれれば勝ててしまうんです。

「なるほど。なるほど」

アメリカのワシントン州で地元のテニス・ツアーがあって、そこで1位になると昔のサテライトサーキット(今でいうフューチャーズ)のワイルドカード(主催者推薦)がもらえてATP獲得のチャンスがあったので、それを狙っていました。でも・・・13位が最高でした。

「その壁は険しかったんですね。」

そうですね・・・しかもWC欲しさにATP持ってる選手が出てくるので・・・

「海外テニスあるあるですね。私がオーストラリアに行った時にも、地元の草大会にATP世界ランカーが普通に出てました(笑)」

日本だと考えられないですよね。そして実際に試合をしてみると、やっぱり彼らを倒すのは難しかったんです。

「そりゃそうですよね」

後はワシントン州にはワシントン大学というテニスで有名な大学がありましたが、そこの選手も強かった。

「アメリかの大学は強いですよね。確か当時は大学卒業後、すぐにプロになる選手もいましたね」

そうです。まあ、いい感じでしごかれました。でも、逆に夏休みはそのワシントン大学から帰ってきた選手とも練習できましたし、交流もできました。また、彼らも地元のテニスクラブで練習するんですけど、地域のクラブ対抗戦みたいなものもあって、そこではクラブ代表としてアメリカの選手と僕とが一緒のチームになって戦ったりしました。これは良い経験でした。

「なるほど。なるほど」

アメリカのテニス留学システム

「次に、もう少しテニスクラブ・・・というかテニス留学のシステムについて教えてください」

僕の場合は英語を学ぶ学生としてアメリカに入りました。午前中は英語学校で午前9時からお昼12時くらいまで3時間の授業を受けて、その後にお昼を食べてすぐにテニスコートに向かいました。食事の時間は10分くらいですね。

「ずいぶん慌ただしい生活ですね。」

そうですね。一般の方がイメージするテニス留学とだいぶ違うと思います。普通はIMGのような、施設の中に学校があって、宿泊施設や学生寮があって、テニスコートがあって、トレーニング施設があるみたいなイメージですよね。でも、僕が留学したところは本当のテニスクラブなんです。英語学校は英語学校で別にあって、宿舎はアパートを借りるかホームステイでした。

「内藤さんの宿泊はどっちだったんですか?」

僕はアパートでした。今思えば、ホームステイにすれば、もっと多くの人と交流できたのではないかと分析しています。少し心残りですね。

「でも、当然ホームステイの方がお金高くなりますよね?」

そうです。だから仕方なかったんですけど、4つベッドルームがあるアパートの部屋をシェアして住みました。

「食事はどうしたんですか?」

自分たちでスーパーマーケットに行って買ってきました。

「あれ?内藤さんは当時は英語しゃべれない人でしたよね?」

英語学習法

「英語話せないのに、どうやって日常生活をしたんですか?」

確かに英語は話せませんでした。でも、コミニケーションするのが好きなんです。なので、自分の知ってる単語を並べて何とか会話を成立させました。

「もしかして英語の文法の教科書とかを使って勉強してなかったんですか?」

してないんです。

「してないんだ!(汗)」

僕は教科書が嫌いなんです。

「そういえば本を貸した時に(永井は古本屋も経営)、文字を読むのが苦手って言ってましたよね。それで大丈夫だったんですか???」

アメリカ人と話をするときに、彼らが『これは英語でこう言うんだよ』って教えてくれたんです。これは聴覚障害の人もそうなんですけど、僕が手話をやると『本当の手話はこうだよ』って教えてくれるんです。こんな感じで、色々なところで『今の英語はこうしゃべるんだよ』って教えてもらいました。

「なるほど。善意に支えられたオン・ザ・ジョブ・トレーニングですね」

そうなんですよ。そうやってずっと過ごしてました。

「ずっと?(笑)でも、読み書きはどうどうだったんですか?試合のエントリー用紙とか大会の要項とかどうやって理解したんですか?」

エントリーの用紙ぐらいだったら日本のテニス用語と一緒だから適当に理解できました(笑)。ただ、1番大変だったのは車の免許を所得する時ですね。アメリカの自動車免許の試験は英語の4択なんです。4つの選択肢の中から正解の英文を選んでボタンを押すだけです。正解が80%から85%くらい正解すれば合格で、あとは実技だけでした。

「その英語の文章の4択試験は難しくなかったんですか?」

3回目くらいで受かったので、それほど難しくなかったです。いや・・・難しかったのかなぁ」

「アメリカという国を考えれば、車がなければ生活できないので、免許を取らせないって事は無いですよね?きっと英語さえわかれば難しくない試験かな?と推測できますが・・・」

そうかもしれません。そして、車を買って・・・

「え!?車をアメリカで購入したんですか!?(汗)」

しました。しました。

「お金は出してもらえたんですか?」

そうです。親と僕とで大学に行く予定で積み立てたものがあったので、そのお金をアメリカの銀行に送ってもらいました。

「アメリカで銀行の口座をつくるのって難しいんじゃないんですか?」

いえ。簡単でした。アメリカで口座を作るためにはまず最初にIDを取得するんです。IDを作るためにはアメリカに6ヶ月以上か1年経ってから出国しますよっていう証明書が必要なんです。

「それは学生として学校から証明書を出してもらうんですか?」

単純にワシントン州としてのIDでした。でも、僕も当時は英語が話せないのでいまいち詳しいことをわかりません(笑)

テニス留学の毎日

で、とにかく車を買って、朝起きたら自分の家から車で英語学校まで行って、授業が終わったら家に戻って食事を済ませ、テニスクラブに行って・・・

「夢のような時間じゃないすか!」(←テニス馬鹿にとっては)

夢のような時間でしたね。今、大人になって思い出しても、本当にもう一度やりたいです。その時は本当に楽しかったですね。

「羨ましい・・・」

で、向こうで生活しているとアメリカ人の友達もちょこちょこできるんです。何がきっかけだったか忘れてしまったんですが、僕らと仲良くしてくれるアメリカ人の写真家と出会いました。で、その人が山の中に住んでいて、毎週末に遊びに行くんです。そうすると、アンダーグラウンドな人達がそこに集まってパーティーみたいな感じになるんですよ。パーティーといってもみんなで食材を集めて、みんなでご飯を食べながらその写真家の家(ジュエリーショップ)でジュエリーを作ったりとか、山の中を散策したり、川で遊んだりとか・・・っていうのを、1日中楽しんでました。

「あーそういう、テニスクラブや語学学校意外のアクティビティ的な生活も素敵ですね。やっぱり若いときの外国への留学って良いですよね」

そうですね。このアメリカの父と呼んでいる山に住んでいた人との交流はめちゃくちゃ良い経験でした。ホームステイしなかった分だけ、そういったところで色々な人とコミニケーションがとれたのは凄く良かったです。

アメリカでのテニス指導法について

「もう少しテニス留学について知りたいんですけど、テニスの練習時間って毎日どのくらいでしたか?」

テニスの練習時間は午後1時から午後5時ぐらいまででしたね。約4時間くらい。

「コーチが指導してくれるんですか?」

そうですね。その後も夜までコートが使えるので、それからはフリー練習でした。

「ナイター照明があったんですか?」

ありました。ナイター照明が無料だったんです。なので連日夜10時まで練習しました。

「テニス関係者としてはここが一番気になる所ですが、コーチは一体どういった人だったんですか?」

凄い大きな体をしたトラバというコーチでした、彼はATPで40位まで行った選手でした。

「僕がオーストラリアのテニスキャンプ行った時、『コーチが何も教えないなぁ』って思ってたんですけど、アメリカはどうですか?オーストラリアでは球出しはやらないしラリーの時にちょっと口出すくらい。その割にはゲーム形式の時には試合を止めて、あれやこれや言ってくるんですよね。日本と教え方が全然違うじゃないですか」

確かにそうですね。どちらかというと、コーチはゲーム形式でゲームの方法を教えてくれました。『こういう風に考えるんだよ』と考え方を教えてくれました。技術的なことを教わるっていうのは確かに少なかったですね。

「日本のように、『ラケットの使い方が違うぞ!』とか『こう打つんだ!』とかそういうことなかったんですね」

ほぼほぼなかったと思います。

「では素朴な疑問として、アメリカテニスの場合はフラットしか打てない人はそのまま育つんですかね?トップスピンでシコル選手はそのままシコリ続けるんでしょうか?」

多分そうだと思います。そして試合で負けると『お前なんでそこで打たねーんだよ』とか、『なぜ、そこでつながねぇの』って話をコーチからされるんですよ。そのコーチのアドバイスを受けて、選手が自分でつなぐんだったらスピンにするのか?深くフラットにするのか?攻めるんだったらライジングにするのか?フラットで強打にするのか?をそれぞれが考えるんです。

「日本みたいに『トップスピンの打ち方はこうだ!』『スピンのかけ方はこうだ!』と打ち方を教える指導方法とは全然違いますね」

全然違いますね。だから僕もジュニアを指導する時に、こうするって言う事はあまり・・・うーん、時々言っちゃってるなぁ・・・

「いやいや、反省しなくていいんですよ内藤さん(汗)」

でも、アメリカでの『こう打て』っていう技術の指導は本当に少ないです。例えば『スピンをかけろ』とコーチは言いますが、どんなふうに打つかは教えてくれないんですよ。自分で考えろって指導ですね。

「そういえば錦織圭選手もニック・ボロテリーのキャンプで何も教わった事は無いと言ってましたね。でも、それで本当に強くなるの?っていうのが日本人の率直な疑問だと思うんです。でも、我々は海外で嫌でも日本人がヘンテコテニスに負ける姿を目にしてしまったので、向こうの教えない方が理由はよくわかんないけど強くなるってのが感覚的にわかるじゃないですか」

そうですね。一般的に言われることとしては、オープンスキルとクローズスキル。向こうはオープンスキルありきですね。ラリーの中でどう打つかっていうことが重要で、ボール出しの中で打てるかは、さほど重要じゃないんです。確かに、ラリーとかポイント練習の中で考えながらボールを打つと、ボール出し以上の効果が出ることがあります。

「それで生徒同士がラリーしてる時も、コーチが色々と口を出してくるんですね」

そうですね。でも日本人の場合は・・・もうちょっと教わりたいって気持ちがありますね。

「確かにそれはありますね。日本人は真面目だから知らない事、わからない事を一つ一つ潰していきたいと思ってますよね」

そうです。だから、もしかしたら海外にテニス留学しても、何も教えてもらえなかったと感じてしまう人もいるかもしれません。

「そうですね。何も教えないと日本の場合は文句言われる事もありますから、コーチは絶対に指導をしますからね」

そうですね。昔の日本の職人さんみたいに見て盗むじゃないですけど、教えてもらえなくても学ぶ機会はいくらでもありましたよね。でも、そのシステムは日本でなくなってしまいましたけど。

「なるほど。で、内藤さんはアメリカでどんな戦略的な事をコーチから教わったんですか?」

1番はスコアの付け方ですね。日本のジュニアの試合に行くと、お父さんとかお母さんが丸を書いたりバツ書いたりしてスコアをつけていますよね?あれよりもっと細かくて、もっと沢山の情報がつまるようなスコアの書き方を教えてくれました。そして、その記録を試合の終わった後に見ると、自分の何処が悪かったのかがわかるんです。

「それはコーチがつけてくれるんですか?」

そうですね。コーチがつけてくれる事もあります。また、3人で試合するんだったら、それぞれでスコアを記録し合いました。

「今の日本のテニスでスコアつけるってあんまり聞かないですよね」

そういえばないですね・・・ないと思います。

「そのスコアを記録するって、やろうと思えばいつでもできるんですか?」

いつでも出来ますよ。僕は自分の子供たちを見てる時も自分でスコアをつけていました。

「アプリとかになったら面白いですよね」

そうですねできたら面白そうですね。

「ちなみに僕も小学生の時に少年野球チームに入っていて、そこで野球のスコアブックのつけ方を習ったんですけど、とても良かったですね。テニスでも同じようなことができるんじゃないかと考えていましたが、まさか内藤さんが知っているとは」

スコアから自分の弱点とか強みとかが学べましたね。自分で見て学べました。

「それは外人独特のロジック効いた教え方につながるんでしょうか?」

そうなると思います。なんとなくではなく、『こういう風なスコアが出ているから君はこうなんだよ』とコーチは言うことが出来ます。

「なるほど。なるほど。外人は感覚的だから、説得するときは数字を使ってしっかりと理論的に話すのかもしれませんね」

そうですね。そこは凄く理論的でした。

練習内容

「なるほど。試合は理論的。では、練習の時はどんな事をしましたか?」

それはひたすらラリーですね。

「ラリー練ですね。でも、同じテニスクラブ内だと毎日同じ友達ばかりを相手に練習する事になってしまいますよね?それでもラリーなんですか?」

そうですね。ひたすらやりましたね。2時間も3時間もラリーとポイント練を。

「どうですか?今、コーチとして成長した自分が振り返ってみても、その練習は良かったと思いますか?」

今の僕だったらもうちょっと幅を聞かせます。

「それはどんな幅なんですか?」

例えば、相手がボールを打つ状況を設定して練習します。

「ほどなるほど。テニスの試合のある一場面を想定し、テーマを持って練習するてってことですね」

そうですね。生きたボールではありますけど、”こういうボール”というフォルダ分けをした方が良いですね。ただただラリーをするよりは。『こういったボールの打ち合いをしてみよう』とか、『こういったシチュエーションでのケースを想定してみよう』というのはやった方が良いと思います。

初心者の小学生の教え方

「なるほど。ここでちょっと意地悪な質問をさせてください。ラリー練習は20歳の選手予備軍ぐらいだったらいいと思いますけど、テニスを始めたばっかりのジュニアや小学生とかにも同じような教え方をするんですか?同じようにラリーやゲーム形式を沢山させるんですか?」

はい。ポイントプレイがほとんどです。

「ポイントプレイ?小学生の初心者の時から試合形式をやらせるんですか?でも確かに子供は勝負事好きですもんね」

例えば、ボール出しから走ってポイントプレイみたいな感じです。勝てない子は下手だからずっとそっち側にいるけど、勝てる子はチャンピオンになるっていうゲーム形式です。

「その練習のバリエーションの中でジュニアが勝手に上達する感じですか」

そうですね。だから手出しは基本的にしません。時々挨拶程度に手出しをやって、すぐにゲーム形式ですね。

「これは素朴な疑問なんですけど、全く打てない子供に対しては、どうやってテニスを教えていましたか?ボールを打てるようになるまで、どういう過程を踏ませるんでしょう?」

それはわからないですね・・・。

「よくYouTubeなどの動画サイトで、親が子供にボールを手で出して、ラケットを持った子供がボールとラケットを当てることができたら、親が『天才だー』って言って褒めまくるような動画を見た記憶があります。少なくともボールとラケットが当たるとこまでは誰かが育てなくてはいけないと思うんです」

ですよね。でも、そのクラス見たことなかったですね。

「もしかしたら、日本人はそういうところが凄く上手いのかもしれませんね」

その可能性ありますね。

「でも、その先が育たないと」

そうですね。そこをずーっと繰り返し練習しますからね。

「もしかしたら、指導を受けた子供は最初の1番難しいところを、自分で考えて覚えるって事をしてないですか?」

してないですね。

「私も硬式テニスは高校からでしたが、最初は凄く考えて感覚を総動員して打っていたと思います。それを外人は子供の時から意図的にやらせてるってことですよね?」

そうですね。

「でも、日本だと子供に考えさせるとかわいそうだと思われちゃう」

そうですね。かわいそうにならないために、こうやって打つんだよって教えちゃいますね。

「そうやって教えちゃうと、伸びないっていうのが昔から言われている日本の悪いところですよね」

いや、伸びないというよりは考えなくなります。

「あー」

考えなくなると、最終的に技術的に同じレベルになった時に考えてる方が勝つんです。それは勝てないですよね。

「なるほどー。なんだかテニスを教える事について、1つの解答を導き出した感じがします」

テニス以外の生活

「話は変わりますが、アメリカでのテニスの練習が終わった後は何をしていましたか?」

ジムでトレーニングしてました。

「それは毎日やってたんですか?」

そうですね。毎日練習が終わった後に1時間以上トレーニングを欠かさず続けました。

「トレーニングを終えて家に帰ってからはテレビつけて・・・みたいなリラックスした感じですか?」

そうですね。でも、テレビ見ても英語ですから何言ってるか理解できませんでした(笑)

「そういえば、雨降った場合とかどうしたんですか?」

インドアだったんですよ。だから大丈夫でした。

「ということは、365日ずーとテニスですね?」

そうです。ほぼほぼ毎日テニスしていました。

「それを2年半もずっとやってたんですね?」

そうですね。ただ、週末だけはアメリカの父と呼んでいる写真家の家に遊びに行きました。そこに行く時だけが息抜きでしたね。それ以外はずっとテニスでした。

試合のエントリー方法

「次に試合のエントリー方法について教えてください。当時はインターネットが無かったですよね?試合のエントリーはテニスクラブに届いたんですか?」

試合は自分たちで探しました。メンバーシップに登録すると送ってくる雑誌があって、その雑誌で試合のエントリー情報を探して申し込みました。

「アメリカの試合のエントリー費用っていくらぐらいでしたか?」

20ドル位でしたかね・・・。

「会場へは車で?」

そうですね。会場が遠いから車で3、4時間くらいかけていきました。まぁそれも楽しいんですけど。

「そうですよね。みんなでワイワイしながら試合に行くなんて楽しいですよね。ちなみにその時って外国人の友達とも一緒に行きましたか?」

行きましたね。

「内藤さんが通っていたテニススクールに日本人は多かったですか?」

多かったですね。半分ぐらいいました。

「テニス留学を紹介知れくれた日本人は松島さんでしたっけ?」

尾崎さんです。試合に行く時は、みんなで行く事もありましたが、自分1人で別々に車で行くこともありました。1人で試合会場に行って、1人で帰ってくるみたいなこともありました」

「でも、1人で試合に行って負けて帰ってくる時に『俺、アメリカで何やってんだろう?』とか思いませんでしたか?」

思いました(笑)

「日本にいる友達は大学でみんな楽しくやってんだろうなぁ・・・とか懐かしく思い出したり・・・」

それは思いませんでしたね。でも、1人で来て『もう帰んのかぁー』みたいな感じはありました。

「なるほど。では、アメリカに来てテニスをやってるってことに関しては、全く疑問を感じなかったんですね」

全く感じていませんでした。そこ(アメリカ)にしか自分にチャンスがなかったんです。だから、疑問は全然ありませんでした。

「男らしい!」

ただ・・・1回スランプに陥ったことがあって、その時は『これはどうしたらいいんだろう?』って悩みましたね。テニスしにアメリカに来ているのに、テニスがわからなくなってしまったんです。『こんな下手なまま帰りたくない!』ってのはありましたね。

「なるほど。目標はワイドカードもらってATPポイント獲得でしたよね」

そうですね。ATPポイント獲得が目標でした。

「それはATPポイントをとって日本に帰って『テニス業界をざわつかせてやるぞ!』とかそういう野望はあったんですか?」

そういったものは全然無かったです(笑)当時はただ単に『ATPポイントをとりたいなぁ』と思っていて、その後の事は考えてなかったですね。

「ええええ!『とりたいなぁっ』っていうだけでアメリカに何年も行くって凄いですね(汗)子供の遊びじゃないんですから!」

確かにそうですね。

アメリカで手に入れたもの

「アメリカでのテニス留学生活のまとめをお願いします」

アメリカの街に行って気がついたのは、ショッピングセンターとスポーツ施設が常に大きな枠組みで一体化されていた事です。例えば、日本でいうイオンのような大きな商業施設の中に、テニススクールがあったり、夜中にフットサルができるサッカー場が整備されているんです。凄くスポーツが身近な環境にある文化だったので、それらを見て『実家の静岡に帰ったら同じような施設がつくれたらなー』と思っていました。もちろん大人になった今ならわかります。難しいですよね(笑)

「そうですねー」

結局アメリカに来ていたときはテニスが上手くなりたい、強くなりたいって考えていましたが、どこかで日本でテニスを普及させる何かを持ち帰りたいって考えていましたね。そういう意味では異文化を体験できたとても面白いテニス留学体験でした。でも今考えたら、たいして英語ができるわけでもないのによく来たなーって思いましたね。

「いやいや、とても貴重な体験でしたよ。結局、2年半で卒業して日本に帰ってきたんですか?」

卒業ではなかったですね。親から『大学に払う予定だったお金と時間は好きにしなさい』と言われていたので、お金が尽きて帰ってきました(笑)

「なるほど・・・まあ、逆にそうでもしないと内藤さんは日本に帰らなかったかもしれませんね」

そうですね。そして、アメリカのテニス留学で知りあった人達が東京に多かったので、じゃあ帰国後は東京に行こうって思ったんです。

日本に帰国後

「最初行ったのは何処だったんです?」

大泉です。コートビア大泉でアルバイトのコーチをしていた子が短期テニス留学でアメリカに来ていて、そこで仲良くなっていた彼が紹介してくれました。そしたら他のコーチも他のテニススクールを紹介してくれて、バイト先が増えていきました。そしてもう1つ、武蔵のドームが企業研修として毎年1人のコーチをアメリカのテニス留学に派遣していました。そこでも知り合ったコーチがいたので、武蔵野ドームにも行きました。この二つのツテがあったので東京に来ました。

アルバイトコーチ生活

「日本に帰ってきてからは、テニスコーチをしながら試合に出ようって考えていたんですか?」

そうですね。テニスに関わりたいっていう気持ちはありました。

「そのまますんなりとオープン試合(賞金付きの大会)にも出れましたか?」

1年ぐらいかかりましたかね。やっぱり先に自分の住む場所の確保や仕事をしてお金を貯めました。だから帰国後はバイトして、バイトして、バイトして・・・という生活でした。徐々に落ち着いて少しお金が溜まってからオープン大会には参加しました。

「仕事が安定するまで我慢してたんですね」

そうですね。

バイトをしながら試合に参加

で、コートビアと武蔵野ドームでバイトをしながら試合に出て行きました。

「オープン大会に出れるよーと誘ってくれたのは誰だったんですか?」

もともと市さん(選手コースの前のヘッドコーチ)が出てる人だったので、オープン大会があるってことは知っていました。

「前々から興味があって、存在を知ってたんですね」

そうですね。だから時間とお金がある時にちょっとだけ出ていました。

「JOP(日本のランキング)は順調に上がったんですか?」

そうですね。100位を切るまでは順調に上がりました。

「どのぐらいで100位以内に入ったんですか?」

2年ぐらいかかりましたかね

「それでも100位以内って凄いです」

ただ、大きな大会に勝ち上がっていくとトップ選手と一緒になる時間が増えるのですが、彼らを観察して違いを感じました。『このままじゃダメだ。何か変えなければ・・・』と考えました。このままつなげるテニスをしていても勝てないなと思って、攻撃的なテニスを学ぼうというきっかけになりました。

「なるほど。テニスを変えるきっかけは100位を切ったというところだったんですね。」

はい。そうですね。目標をクリアした時に・・・

「あ、そうか!目標に対して挫折してテニスを変えたんじゃないんですね?目標を達成したから変えたという前向きな方向転換だったんですね?」

はい。そうですね。で、その上を見ると、30位・50位になってくると、このプレーでは太刀打ちできないな・・・と感じたので変えることにしました。

「その時目指したのは、守リも出来るけど、攻撃も出来るというスタイルだったんですか?それとも攻撃重視で」

いやいや、もちろん守りも攻めもという両方ではあるんですけど、最初はそんな事はいっていらなかったので、全部を攻撃してみようと考えました。

「そういえばライジングをガンガン打ってましたよね・・・」

そうですね。でも、それだと全然勝てずに・・・そこから2年くらいダメだったんですかね・・・

テニスの変化

「ここまでの話を聞いていてよく考えると、アメリカでプレースタイルを変えなかったのに、日本に帰ってきてから変えるってちょっと不思議ですよね。普通、海外でテニス修行をしてきたら、海外で攻撃的なテニスを身につけて別人格になって日本に帰ってくるってイメージがあります」

そうですね。でも、自分のテニスを変える必要が無いくらいアメリカ人のテニスが雑だったんですよ。そして、アメリカ人のシコラー(ミスをしないタイプの選手)が強かったんです。

「え?アメリカではシコラーが強いんですか?」

そうです。

「鬼ジコリ(回転系のボールでミスしないタイプ)のような?」

いや、打ちジコリ(フラットドライブの早いボールでミスしないタイプ)です。彼らは打っても打ってもミスしませんでしたね。

「あーわかります。見た事あります。昔の日本のトップ選手がよく負けてましたね」

日本の方が打って決まります。

「その違いは何だと思われますか?」

フィジカルですね。体力があるから追いついたボールをしっかりと打ち返す事が出来るんです。

「内藤さんは自分のテニスを変えてからはどうでしたか?すぐに結果は出ましたか?」

最初の1年半か2年ぐらいは全然だめでした。ただただ暴発するだけ。で、そこで打ち方を教えてくれる方と出会って、それでボールがコートの中に収まるようになりました。それと同時に体の使い方の理論とか理屈がわかってきました。

それはアメリカで内藤さんが勉強してきた教えない自分で考えるテニスと、日本的な教わるテニス理論が合致したということですか?両輪が回った感じですかね?」

そうですね。今まで色々感じていた事が繋がった感じです。点が線に変わりました。

「両方を学習する必要性を感じますか?」

感じます。両方知っている方が良いです。色々な場面に対応する為には、色々幅を利かせなければいけません。結局、自分も迷ったあげく、両方学んだ方がいいかなと思いました。だから僕は子供たちにもすぐに入る打ち方を教えたくありません。

「なるほど」

ヘッドコーチ時代

「テニスコーチをしながらテニス選手として活躍していたんですね。あれ?でもテニス選手をしながらコーチ?どっちだったんですか?」

コーチしながらテニス選手だったんですけど、攻撃的なテニスがだいぶわかってきた頃に、ちょうどコートピア大泉のジュニア育成のコーチが辞めるという話がありました。

「それは誰だったんですか?」

市コーチですね。で、オーナーが選手クラスのコーチを捜していて、僕に話を振ってくれたんです。

「その時はコートピアにいたんですか?」

いえ、その時は武蔵野ドームにいました。で、やってみようかと決意を固めたところで選手は引退しました。

「辞めるときはスッパリ踏ん切りがつきましたか?」

はい。テニスがしたかったのですが、別に選手にこだわっていた訳でもないので・・・辞めるときは本当にスパッと。で、子供たちを教える活動に集中していくという事になりました。

内藤コーチの指導

高校時代に僕自身が2年くらいで全国に行くか行かないまで勝ち上げれた経験があるので、本当に下の子だったり、テニス始めて間もなくだったとしても、やる気がある限り、僕がヘッドコーチをしていたテニスクラブ(コートピア大泉)では受け入れてたんです。そこで2年間で2人も全国に進んだ子が出たのは嬉しかったですね。質なのか何だかわかりませんけど長くやってればいいってものじゃないし、うまくハマればこうなるんだって事が実証できましたね。

「今もプレイを続けている選手もいるんですか?」

今も頑張ってると言えば高村颯希(たかむらさつき)とかそうですよね。セルビアでプロになって頑張ってますね。颯希はそれこそ埼玉県のPCAに所属していましたが、わざわざコートビア大泉まで練習に来てくれました。

「なぜ彼女は内藤コーチの元まで練習しに来てくれたんですか?」

それは全くわかりません。でも、良かっただからじゃないすか(笑)

「まあ、そうでしょうね」

僕の教えとしてはテニスじゃなくてもいいんですよ。テニスを通じて上達の仕方を学んで欲しかったんです。もちろんテニスも頑張って強くなって欲しかったですが、事あるごとに『テニスを通じて〜』と伝えました。そして、テニスを教えるというよりは、上手くなり方や情報の集め方を教えました。

「具体的にはどういうことだったんですか?」

1番簡単なところだと、PCDAサイクルです。これをどんどん早く回すように教えました。プラン(Plan)を立てて、やってみて(do)、チェック(check)して、改善(Act)していこうってことですね。色々な事を何度もチャレンジして試していかないと、自分にあったものが見つからないよねって伝えました。

「でも、そのPCDAサイクルって社会人で学びますよね?内藤さんはどこでそれを学んだんですか?」

本で読んだんですかね。

「あれ?さっき本は読まないって言ってましたよ」

もしくはテレビでやってたとか・・・

「その可能性はありますよね。番組を見ていて閃いたんですかね」

僕自身が気がつきませんでしたけど、知らず知らずのうちにPCDAで考えていたんです。だから、PCDAサイクルの話を聞いたときは、『そうだなぁ』と納得しました。その他にも試合を記録して、子供に『君のこのショットは何%だったねー』とか客観的に伝えました。

「さっきのスコアですね」

客観的に見たしてあげました。

「内藤さんがヘッドコーチをしていた時、みんなスコアをつけていたんですか?」

つけさせましたね。

「なるほど。それで客観的な視点が身についた可能性がありますね」

そうですね。そういった意味では、卒業後にみんなが学んでくれた事を活かして色々なところで活躍してくれてるのはすごい嬉しいです。

「では技術指導中心の教え方はしないと?」

そうですねフォーム的な形はしないです。いくつかある大事なポイントを外さなければ。

「その大事なポイントはどんなところですか?1つだけ教えてください」

バランスですね。体のバランスを作りましょうと言いますね。力を出す方向の筋肉がうまく使えるようなバランスがあるので、それは大事にします。

「あれ?結構細かそうですね」

確かにバランスに関しては細かい事も言うかもしれません。でも、そこを通さないとパフォーマンスは出せません。

「小学生にもその話をしたんですか?」

小学生にもしましたね。だから他のコーチからは『キミちゃん(内藤コーチの愛称)が言ってることは小学生には難しいよ』と言われたんです。でも、難しいことを理解できなかったらダメだから、僕は伝え続けました。

内藤コーチの実績

で、子供たちを教えていてそこそこ全日本出るような子供たちやインターハイに出るような子供たちを育てることができたんですけど、その時に聴覚障害の人達と会ったんです。

「育成の仕事はどれくらいやっていたんですか?デフテニスの活動は同時並行的に?」

おそらく5年くらいです。

「僕はそのころの内藤さんのことを知らないんですよね。そして内藤さんも自分からあまり話さないですよね?」

別に隠してるわけじゃないんですけど(笑)

「何か黒歴史でもあるのかなと(笑)」

黒はないですね。

「そうですか。でも、仕事としてルーティーンでやっているから、もし凄い快挙を成し遂げていても、特に凄いとは思わないんじゃないですか?」

コーチの時?

「そうです。そうです。例えば、スクールのコーチを始めた人だと、普通は自分の教えた子が、選手が全国大会やインターハイに行ったら、凄く喜ぶと思うんですよ」

はいはい。

「でも、もう既に有名なテニスクラブだったので、最初のその喜びとか無かったのかな?と思ったんです」

あ、それは・・・めちゃくちゃあります!

「あ、あるんだ!(笑)」

コートピアでやっていたときの市さんは少数精鋭でした。なので、多くてもジュニアの選手は10人くらい。その中で1人か2人が関東や全国に行けばいいかな〜的なスタンスでやっていたんです。でも、僕はそれが嫌で

「あ、わかります。女子を教える監督とか少数精鋭の育成方法を採用しますよね?」

それは知らなかったです。でも、とにかく僕は30人、40人のグループで、常にどの年代でも全国に絡めるような選手を育てるようにしたいと思ったんです。

「沢山の子にチャンスを上げようと思ったんですね」

そうですね。和気あいあいじゃないですけど、みんなで上がっていけるようなチーム造りをしたかったんです。

選手クラスを1と2に分けて、2には下手でも気持ちがあれば入れるクラスにして、1は条件を満たさないと入れないクラスにして・・・

「本当のトップみたいな?」

そうですね。そういう2つのグループ分けにしても、最初は本当にパッとしなかったので関東に行く女の子が1人だけでしたが、そこからはまぁ理解ある中学が近くにあって・・・

「それは大泉桜中学ですね?」

そうです。それも良いポイントになりました。そこの子供たちが来てくれて、まぁ桜中の団体戦では全国大会に出たり、関東でも優勝しました。そんな感じだったので、コートビア大泉の中に来れば下手な子から上手い子まで色々な子がいるっていう感じになりましたね。僕はあんまり所属名とかにもこだわってなかったので、外部からも沢山の子供が練習にきました。

「大手のテニススクールでは強い選手の取り合いだと思いますが、掛け持ちOKだったんですね?」

そうです。埼玉県所属でウチに練習に来る子とかもいましたし。結局それで43人ぐらいに人数が膨らみましたね。

「選手クラスで43人って凄いですね」

さらに僕の中では大原則があって、選手クラスで赤字にしないっていうことです。絶対黒字で終わらせるという目標をもってやりました。結局、就任してから3年後だったかな?最終的に360万円の黒字になりましたね。

「それって経費を支払った後の数字としてですか?」

経費を支払った後の数字ですね。コーチの人件費だったり、ボール代だったり、ネットの修繕費などを除いた数字です。この時は自分の中でとても達成感がありました。

「ある意味自信になったという?」

そうですね。そして更に子供たちと一緒に兵庫に行ってITFにチャレンジしてみたり、いろいろ面白いことができました。市さんの時とは違う形でそこそこ実績が残せましたね。ただ、僕が狙っている所はATPやWTAだったので、それができなかったのは残念でした。もし後悔を挙げるとすれば、それですね。ただ、そうはいっても子供たちもそこまで強くなかったのでATPの大会に出てみようと誘っても日程の都合で出られななかったり、それはもうちょっと強く・・・

「でも、内藤さんが指導していたときのコートピア大泉は地元の子が中心だったんですよね?全国から優秀な子が集まるスクールじゃないんですから、その辺は難しいですよね?」

そうですね。コートの数は限られてますし・・・と、いう訳でコーチ時代は黒歴史ではないですね(笑)

「では、コーチの仕事をやめる理由って何だったんですか?」

それは聴覚障害の子たちと出会ったからです。

NPO法人デフテニスジャパンで聴覚障害者を指導

聴覚障害の子たちと出会ってから、どうにかして彼らのサポートをしたいと考えましたし、聴覚障害のテニス選手に対してのサポートもしたかった。また、聴覚障害者の事を一般の人にも知らせたいとも思いました。その時に色々考えましたが結局、ジュニア育成をやりながら聴覚障がい者の支援の両立は無理だとう結論に達しました。それは実際にやっている自分が1番わかっていました。そして周りを見渡してみると、ちょうど下のスタッフも育っていて、また彼らがとても優秀だったので、『これはもう自分が抜けてもいいんじゃないかな?』と思いました。結局、そのタイミングで抜けました。

NPOの現実

「でも、地位も名誉もある安定したヘッドコーチという仕事を捨てて、NPOやるなんて一大決心じゃないですか」

甘く見てました(笑)

「誰しも最初はそういう気がしますけど・・・」

僕はかなり甘く見てました・・・

「奥さんは働かれてたんですか?」

はい。

「お子さんは既に2人とも産まれて?」

そうですね。いましたね。

「周囲・・・特に奥さんから反対されなかったんですか?どう考えても絶対に反対されますよね?」

記憶にないですね・・・反対されてたのか、されてなかったのか・・・どうなんでしょうね?

「言っても無駄だと思われてたのかもしれませんね」

そうですね。黒歴史と言えばやっぱそこら辺は黒歴史かもしれませんね。やっと今、まともになりましたけど、その時は収入が不安定になってしまい、若干不安になりました。やっぱ人ってお金が大切なんだとその時すごく感じました。それまでは・・・そんなに裕福ではありませんが、お金に苦労もしてなかったので。

「でも、その時だってきっと貯金とかされてたでしょうから、お金がなくなったんじゃなくて、お金が無くなりそうだっていう不安がおそってきたんじゃないですか?」

そうですね。貯金が目減りするところに不安を感じる・・・

「焦りますよね」

焦りました。さすがにこのまま続けるのはダメだとすごく感じました。

「しかも、やってもやっても認められない時期だったじゃないですか」

そうですね・・・『こんなことや、あんなことをやりたい』と思ってたけど、それらをやってもお金に変えることができなくて、結局自分が無償で働いて、それで終わってしまったという状態。そういった時期だったので・・・

「昔、Facebookで内藤さんが色々なところに行っているところを見ました。NPOのスポンサーを探したり、企業の協力を得るために色々な所に行ってましたよね。あの時期ですか?」

その時期も同じですね。

「なるほど。その時期が長かったんですね」

2〜3年くらいやっていましたからね・・・結局、3年くらい荒んでいました(汗)

NPO活動とお金の現実

「NPOを立ち上げた時ってどのように収入をもらってたんですか?」

基本的には自分のプライベートでやってるレッスンと、後はパインヒルズというテニスクラブでお手伝いをしていました。

「具体的に言うと、NPOとしてはお金が全くもらえないので、テニスコーチの仕事をやって食いつないでいたんですね?」

そうですそうです。NPOで生活するのは今現在だって無理ですからね。だからそれをなんとかしたいなーと考えています。

NPOデフテニスジャパンの活動

「NPOデフテニスジャパンは普段はどんな活動をしていますか?」

デフテニスとしてはテニスクリックをどれだけできるかに集中してます。特に大学や社会人とのコラボレーション。交流試合や交流練習会みたいなことをやっています。他には、学校に行って聴覚障害者を知ってもらう為のデフ学習。あと、テニス大会の運営をして手話コールを普及させています。クリニック通して聴覚障害の子供たちにテニスをしてもらう普及活動をしています。今、スタッフの方々が頑張ってくれていて、関東だけじゃなくて関西でも広まっています。

「関西の方が元気なんですか?」

関西の方が頻度が多いです。毎月2回ぐらいやってます。でも、まだ参加人数はそれほど多くないですね。逆に関東だと10人ぐらい参加者があつまるので関東の方が全然多いです。だから関西では参加人数の増加、関東では逆に頻度を多くする事がテーマですね。いや、チャレンジと言って良いかもしれません。

「聴覚障害者のお子さんを指導するコーチは皆さんボランティアですか?」

ほぼほぼそうですね。

「コート代のみ払ってると」

そうですね。

「では、参加する人がコート代だけ払って、教える人たちはボランティアでやってる形ですね」

そうです。でも、コート代よりは少し残るようにして、その浮いたお金で関西の支部長さんやスタッフが動けるような環境をつくったり、ボールやラケットなどの用具を揃えたりしています。それでもお金が残れば普及に繋がりそうな缶バッチをつくってみたりして、新しく何かやってみたいものがあれば、少しでもその先を考えてチャレンジしています。

「それは全く利益は残してないってことですか?」

そうです。毎回残さない形してます。残すぐらいだったら何かに挑戦するようにしてます。

「では、テニス指導をしてくれたり活動に協力してくれている人達には良いお給料を支払ってないんですね」

そうです。全然ほぼほぼボランティアですね。

「外から見ていると、理解できないところですね」

本当はこういったところでもスタッフにお金を支払えるようにしてできれば本当に凄い事だと思います。しかし、現状では難しいですね。

「いい形ができるといいですね」

ありがとうございます。ただ、僕の中では現在はボランティアでいいかなと思ってます。ありがたい事にボランティアでもやってくださる方たちがいるので、その方達に交通費だけでも支払いたいですね。でもその反面、今はボランティアで活動に協力してくれている人たちに、めちゃくちゃ甘えようと考えています。そのかわり、僕たちがやる活動を多岐にわたって広げて多くの人に何かを伝える事ができたら、僕たちがやる活動の正しい理念に近いと思います。今、力も資金もが無いのに協力してくれる人に背伸びして1,000円2,000円を渡すよりも、『こんなプラン作ったからどうだろう?そのためにお金を使ってみよう』と提案しています。そしてそっちの方が協力してくださるボランティアの方達がいいよって言ってくださる。だからお金を残さないで、代わりに経験を増やしていく。この方法の方が僕は良いと考えています。

デフテニスのビジョン

「デフテニスはどのようなビジョンをお持ちですか」

将来的にはNPOの活動をもっと増やせるようにしたいです。そのNPOの活動で生活できる人を何人にも作ってきたいと考えています。

「それはNPOの職員として採用する人をつくっていくということですか?」

そうですね。特に聴覚障害のテニス選手をNPO法人のスタッフとして採用できたらと考えています。そういうレールを作ることができれば、聴覚障害の人でテニスをする人の夢にもつながります。今はみんな平日は仕事をして、休日にテニスをしているので、正直言って週末テニスプレーヤーと変わりません。週末にテニスをする人よりちょっと一生懸命にやっているというレベルです。もっとストイックにできる環境をつくりたいですね。

「なるほど。ちなみに海外の聴覚障害者の選手たちは、どういった待遇になっているのでしょうか?」

ヨーロッパではデフリンピックって言う聴覚障害のオリンピックというものがあって、その聴覚障害者の選手というのは国の宝なんですよね。なので、トップ選手にはメーカーから補助が出るんです。また、ヨーロッパの聴覚障害の選手の場合、プロのコーチに教わる事ができます。

「それはナショナルコーチみたいな人が指導してくれるのですか?国がコーチ代を出してくれるような」

そうです。そういった事がヨーロッパではできているんです。海外の選手は仕事を持っていたとしても、その後のトレーニングがとても充実しているんです。雇用している企業もその辺を理解しているので、時間を区切って練習時間と仕事とを別にして設けてくれています。

「それは素晴らしい。日本もそうなって欲しいですね。ってことは、デフテニスジャパンのNPO活動としては、普及活動や収益も大事だけど、その日本の聴覚障害者の選手たちの将来に対してのシステムを作っていきたいってことですかね?」

そうですね。そこまできたらいいですね。でも、実際、それは僕らのやる役目ではないかもしれません。ろうあ連盟だったり、ろうあ協会がやるべき仕事だと思います。そこは区別しないといけないかも。

「では、具体的にはNPOのデフテニスジャパンがやることって何なんですか?」

それは2つあって、1つは聴覚障害者がテニスを楽しめる環境を作ること。もう一つは、テニスやスポーツを通じて聴覚障害者と健常者を繋ぐことがNPOの役目です

「それらは協会の役目とは違うんですか?」

現在、協会の役目はトップ選手をどう育成するか?メダルをどう取らせるか?っていうのが協会の役目になっています。普及活動と啓蒙活動が日本のろうあテニス協会の方には入ってない。今、彼らはそれら普及活動をやれないでしょうし、やれる組織でもないですね。

「それはわかるような気がします。日本の協会というのは、偉い人達が自分たちだけで何か特別な事をやっていて、末端の人達をおざなりにしている感じがしますね」

そうですね。日本テニス協会ですら・・・テレビに映らない所ではあれですから。

「私も知り合いがいるので悪い事は言えませんが、トップ選手をどうするのか?とか、誰を帯同させるか?とか、そういったことに集中しているイメージがあります。今だと大阪なおみのコーチをどうするか?みたいな感じでしょうね」

だからNPOとしては普及が大事です。

「でも、その普及は内藤さんが作ってくれるNPO の収益源になるのでしょうか?普及が目的だと、国からお金が降りなかったらやっていけませんよね?」

例えば選手を1人職員として採用した場合、その人が選手として活動するだけでなく、その人も仕事をしてもらえる環境をつくりたいです。例えば、学校に行って啓蒙活動やってくるとか、企業に行って『聴覚障害者に対してこういったアプローチができますよ』と指導をするとか、そういった活動が収益を上げながらできると思うんですよね

「ここは僕がポイントだと思うんですけど、多くの人はNPO活動って国から沢山お金がもらえると思ってますよね?でも、そうじゃない。これをみんなに分かってもらいたいですね」

僕としても最新はそういった甘い夢を見ていました。社会に良い事をやっているんだから国から沢山お金が降りてくるんじゃないかと(笑)

「でも、一部の団体は凄くもらってますよね?国から予算が降りたらかなりいいんじゃないですか?」

でも、そうじゃないって理解できたので(笑)。だからこそ、そこではないところで頑張ってきたいと思います。最近、企業研修をやってる会社の人と知り合いになれたので、そこでも色々考えています。僕が企業研修の講師になれれば、仕事が広がっていくのではないかと考えています。

「なるほと」

そういった形で、火がついて広まってく何かができたらいいんですけど・・・まだ種をまいている状態ですね。

「そうですね。そのような活動は、今内藤さんが『火がついて』と言いましたけど、まさにそういうもんですよね」

そうですね。まず僕がやってうまくいけば、次に選手を送る。そういった活動ができたらいいですね。そしたら選手をリタイヤした後でもろうあ者でも仕事ができる。生活が成り立ちますので、我々はそれをマネジメントすることで、事業としても継続する事ができます。

「今、障害者の雇用と言うと、国から給付金がもらえるから仕方なく雇ってるって言う感じですよね?」

決してそういった人達だけではありませんが、それもありますね。

「一庶民から見ていると、そういった悪いイメージがあります」

でも、そういった良くない見かたをしている人を変えるきっかけにしたいですね。聴覚障害の方っていうのはコミニケーションのツールが少ないだけで、実は能力的には僕たちそれほど変わらないし、人によっては様々なところが長けている人もいます。だから企業としても、使いようによってはすごくメリットのある人材であるはずです。

「なるほど。なるほど」

そういったところも我々が指導して広げていければ、聴覚障害者を上手に採用する企業が現れると思います。

「なるほど!」

まとめ

いかがでしたでしょうか?

私も一部の資産家が資産隠しの為にNPO法人をつくったり、国から資金を引き出す為にNPO法人をつくっているという話は聞いた事があります。しかし、ほとんどのNPO法人は内藤コーチのように地道な普及活動を真面目に続けている人達です。このインタビューで内藤コーチの人柄がわかっていただけたら幸いです。

また、内藤コーチにテニスを教わってみたい、又はNPOデフテニスジャパンと一緒に活動してみたいという方がいらっしゃったら、直接デフテニスジャパンの方に連絡をしていただけたらと思います。もちろん、テニスに興味がある、又はスポーツを何かやってみたいというろうあ者のお子さんも大歓迎です。

ちなみにこちらのロングインタビューはiPhoneのアプリ、メモの音声入力を利用して記録しました。しかし、一回では記録できなかったので、何回か繰り返し聞き、永井が編集を加えた内容となっています。誤字脱字、間違った内容などありましたら、お気軽にご連絡ください。

【リンク】内藤コーチのテニス指導とセブ島での英語留学が1週間受けられる2018年の夏休み企画はこちらです→第3回フィリピン(セブ島)英語留学&テニスキャンプ2018開催要項

 

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