セブ島留学まとめ

エージェントの僕がセブ島留学を通じて伝えたい事

更新日:2018年12月21日
オーストラリアシドニーのオペラハウスの写真

こんにちは。
株式会社DELPO セブ島留学サポートセンターの永井です。

今日は僕がセブ島留学を通じて真面目に伝えたいことを、ブログにまとめて発信したいと思います。なぜわざわざ自分の考えを書くかと言うと、現在日本人の留学先は世界中に広がっており、留学代理店も星の数ほどあるそうです。そしてセブ島留学やフィリピン留学をはじめ、オーストラリア留学やカナダ留学、最近流行っているマルタ留学などを扱う会社がたくさんあります。その中でセブ島留学を選んでいただき、その上で当社を選んでいただくために、「この人はちょっと面白そう!この人に留学のことを相談してみたいな〜」と思ってもらいたいからです。

逆の意味で言うと、このブログを読んで「この人とは合わないな〜」「この人とは考え方が違いすぎる・・・」「学歴がない人は信用できないな〜」などと感じた方は、当社にはご連絡いただかなければ時間の無駄にならないので、両者にとってwin-winの関係になります。なので、僕の言葉が癪に触る人も、ちょっとブログを読んでいただけたら幸いです。

最初に少しだけ自己紹介

まず最初に僕の自己紹介をさせてください。できるだけ長くならないように心がけましたが、やはり長くなってしまいました(汗)

家庭環境

実は、僕の家は両親が学校の先生でした。母が小学校教諭、父が中学校教諭。両親とも世間体を気にするタイプなので、いつも仕事を優先し、家庭は二の次。僕は小学3年生までは学童保育に通い、小学4年生以降は毎日午後5時には友達と一緒に遊んでいても、一人だけ帰らなければいけないという厳しい家庭ルールの中で育ちました。もちろん両親は仕事に一生懸命だったので、家に帰っても誰もいない時の方が多いのですが・・・。

保育園〜小学校時代

それでも、小学生時代までは比較的優秀でした。なにせ教員の家庭なので、家のテレビはNHKしか見れないし、愛読書は新聞(朝日新聞)です。漫画は藤子不二雄作品のみ許されました。その結果、政治評論家のような変な小学生に出来上がってしまいました。

中学生時代

地元の公立中学に通い、中二の時に初めて挫折を味わいます。突然、テストが全くできなくなったのです。それまで培っていたNHKと朝日新聞だけでは学校の勉強についていけなくなったのです。当たり前といったら当たり前ですが、僕はオール4からオール2の生徒になりました。それでも、何故か友達は優等生グループでした。その後、彼らとは全く違う人生を歩むことになりましたが・・・

そしてこの頃の私は「俺は絶対外国に行かない!だから英語を勉強する必要はない!」と言い切っているバカな子供でした。だから、今、セブ島留学を自分から希望する中学生や高校生の話を聞くと、本当に驚いてしまいます。みんな偉いなーと思います。本当に。

高校時代

元々の偏差値は30代後半でしたが、中3の夏休みに中学3年間分の学習を頑張って自習し、なんとか都立の偏差値50前後の高校に受かりました。ここで運命的な硬式テニスに出会います。元々向いていたのか、2年生の春には大会でも表彰されるようになりました。部活のおかげで真面目に学校にも通い、成績もそこそこ順調でした。

しかし、高2の時に病気で合宿を病欠してから人生が変わります。合宿から帰ってきた他のテニス部員たちは男女が仲良くなっていて、自分が入る隙間がなくなってしまったのです。そこから中学生時代のように成績は悪くなり、学校も休み休み。部活は朝練だけ出席して、朝の9時には帰宅の途についていました。今思えば、本当にバカでしたね・・・

高卒で就職

高校卒業後は少しだけ専門学校に通いましたが、すぐに辞めました。そこで、当時流行っていた肉体労働のリクルート雑誌「ガテン」でクリーニング資材のルート営業の会社に就職。社長の家の1階が会社という、社員4人の小さな下町の会社でした。

毎日通勤電車で通う仕事ですが、周囲が驚くほど真面目にやっていて自分も不満はありませんでした。しかし、2年ほど仕事をしていると、徐々に何か大きなことがしたいと考えるようになってきます。そんな時、会社の方針を巡って社長と意見が対立し、結局退職することに。当時22歳でしたが、本当に生意気でした(汗)

テニスコーチへ転身

高校時代のテニス部の後輩が「球出しさえできれば雇ってもらえる」というので、会社を辞めてテニスコーチの試験を受けてみました。そしてまさかの合格。西武鉄道系の大きなテニスクラブで、早稲田大学や一橋大学、近くの東京学芸大学や東京経済大学の学生らと一緒にテニスコーチとしてデビューしました。

意外と器用にコーチ業に適応できましたが、人気はありませんでした。一生懸命にやりすぎていたのが原因です。今思えばバカバカしいのですが、当時は若い看護婦さんや保母さんたちとの合コンが流行っていましたが、自分だけ誘われないのでショックを受けていました。

22歳からテニス選手を目指す

しかし、徐々にテニスの腕を上げていると、他のテニスクラブからも声がかかるようになってきました。その仕事先の一つで、当時日本トップだった日本大学の体育会の選手や早稲田大学のサークルのトップ選手から日本ランキングの存在を教えてもらいました。インターネットがない時代だったので、全部口伝いでしかわからなかったのです。

早速、ランキングが取れる大会に挑戦してみましたが、最初の1年間は全ての大会で予選の初戦で敗退。4年後にやっとJOPという日本ランキングを取ることができました。しかし、元々技術も実力もなかったので、そこから先は全く勝てず、完全に行き詰ってしまいました。

世界ランキングへの挑戦

テニスで行き詰まってしまった僕は、何を勘違いしたのか、オーストラリアで世界ランキング(ATP)がとれる大会に参加することを決めました。今思えば、日本の選手育成のスクールに入れば良かったのですが、まさか自分が入れるとは夢にも思っていなかったのです。とにかく、もうこのままではダメだと思ったので、海外に行くことに決めました。当時の生徒さん(当然、テニスを一生懸命にやる主婦の方々)が餞別でお祝いしてくれたのを今でも覚えています。

随分と回り道をしましたが、結果的に海外に出たことで僕の人生は100%変わりました。今の自分があるのはこのオーストラリアでの3ヶ月の生活のおかげです。その後、テニスコーチとして多くの生徒を海外に送り出しましたが、今では仕事といてその体験を、もっとお多くの人に伝えたいと考えています。

伝えたいこと「外国は素晴らしかった!」

少し長くなってしまいましたが、ここからが本題です(汗)

僕は26歳で初めて一人でオーストラリアに行ったわけですが、本当にここでの体験が素晴らしかったんです。もちろん嫌なこともありました。実際はオーストラリアにいる時は大して感動もしませんでした。でも、日本に帰国してからジワジワと自分の変化に気がついたんです。今度は、その話をさせていただきます。

外国に行くとネガティブからポジティブになる

まず最初に、外国に行くと当然のように性格がポジティブに変わります。では、その前にどんな会話がネガティブなのでしょうか?それは僕がオーストラリアに行った直後、現地の郵便局で働いていた日本人女性とした会話からわかります。

永井「良かった!日本人の方ですか?」

女性「そうですよ。なんでこんなところに?」

永井「テニスの大会に参加するために来たんです。僕なんか、全然そんなレベルじゃないんですけどね・・・(恥ずかしそうに)」

女性「日本人らしい言い方ですね」←悪い意味で

永井「え???」←自分が日本人らしいなんて夢にも思ってなかった

そうなんです。自分はいつの間にか「できない」という保険をかけるネガティブな発言をする癖がついていたのです。今の若者にそういった空気があるのか無いかのはわかりませんが、とにかく当時の日本の庶民は簡単に「できる!」と言ってはいけない空気でした。できると言っていいのは、本当に有能なできる人だけだったのです。

しかし、この考えが間違いでした。無理矢理ポジティブになる必要は無いのですが、日本人は叩かれることを恐れて、謙遜(けんきょ)になりすぎています。そして空気の読めない僕は謙虚を通り越してネガティブのホームランを連発していました。そこで、必要ないネガティブな一言を、会話の最後に付け加えないように意識したら、僕の性格は自然とポジティブに変わっていきました。

感情表現ができるようになった

オーストラリアに来てからの7週目。ベリーという小さな田舎街でATPのチャレンジャー大会が開催されていました。この大会はレベルが高い大会なので、本戦に出るだけで世界ランキングがもらえます。そういったこともあり、世界500位くらいの選手も参加していました。そこで、僕は信じられないような光景をたくさん目にすることになります。

驚いたことに、怒れば怒るほど強くなっていく選手や、イラついてボールをコートの外に打ちまくる選手、ラケットを投げまくる選手、審判に文句を言う選手・・・もし、彼らが日本の高校や大学、そしてテニススクールに入っていたら、真っ先にコーチや指導者から激しく注意されていたでしょう。ドロップアウトする人のいたかもしれません。

しかし、僕の経験した知識とは全く違って、彼らは感情的になればなるほど強くなっていきました。コートチェンジの時にラケットをバッグに叩きつけ、審判に口答えをし、試合に勝っていったのです。キレればキレるほど強くなったのです。「試合に勝つためには我慢が大事」と教えられてきた僕(日本人)にとっては青天の霹靂でした。

そこで自分も真似してみました。そこで気がつきました。「キレるのが目的ではなく、ストレスを溜めないことが目的だったんだ!」。それ以来、僕は感情表現をしたり、読めない空気を読まず、あえて少し言いたいことを言うようにしました。それにより、自分がいいプレーができる時間、笑顔で居られる時間が増えました。そういうことだったんですね。日本では、なかなか学べない体験ができました。

堂々としていられる

ATPの試合は、毎週違う場所で大会が開催されます。毎週月曜日から予選が始まり日曜日か土曜日に本戦の決勝戦です。そして負けた選手は次の試合会場(他の都市)へ移動します。そうしていると、当然知り合いの選手仲間が増えます。

そんな旅の中、一人の選手と仲良くなりました。彼の職業はなんとバーテンダー(そう言っていたと思う)。そして、その彼は私以上にテニスが下手で、おそらくそのトーナメントで最弱の選手でした。

しかし、彼はいつも堂々として、選手仲間と握手をしながら挨拶を繰り返していました。日本人であれば「身の程知らずの奴だ」と思われかねません。しかし、他の選手も楽しそうに話をしたりして和気藹々(わきあいあい)としていました。オーストラリアのテニス会にはヒエラルキーが存在しないように見えました。今でこそ、日本にも竹内涼真くんのような爽やかな役者が出てきて若者の考え方も変わってきていると思いますが、その時の僕は凄い衝撃を受けました。そして、僕もそうしようと決めました。

人に親切にできる!

テニスの世界ツアーでは毎週大会が開催されているので、試合に負けてしまった人は次の試合会場へ移動します。当然ですが、予選の初戦で負けてしまった人は翌週まで時間がたっぷりと残されています。そこで月曜日に試合に負けてしまった僕は、試合会場となっている町の小さな山に登ってみることにしました。

その登山の途中、道端で何か困っている様子のおじいさんを見かけました。僕が声をかけようかなーと思ってモジモジしていたら、若者の軍団がやってきて、おじいさんと何やら話をし、無事に解決して去って行きました。その若者を見ていると「俺って今日もいいことしちゃったなー!気分最高!」という自分勝手なんだか親切なんだか不思議な感じ。でも、モジモジしている僕とは大違いでした。

こんな感じで親切な人たちを見かけたり、僕自身も親切にしてもらうことがオーストラリアにいるときに沢山ありました。でも、日本人だって親切ですよね?ところが、日本の電車の中でお年寄りに席をゆずるのって勇気が要りませんか?小さな子供と乳母車を抱えたまま駅の階段を降りているお母さんに声をかけるのって躊躇しませんか?日本で親切をしようとすると、何か「エイ!」っと心の中で声をかけないと出来ない空気があるんです。当然、帰国後は僕も空気を読まずに親切にすることに決めました。もちろん、思ったほど感謝されないこともありますが、自分で「今日もいいことしたぜ!」と思うようにしています。

ちなみに他の国はどうなの?

ここで少し話は脱線します。僕はオーストラリアで本当に衝撃を受けましたし、とても楽しい経験もできました。しかし、これが他の国だったらどうだったでしょう?僕の知る限りでご紹介します。

まずカナダですが、僕の印象だとオーストラリアに近い感じです。緑が多く、街もきれい。本当にきれい。そしてフレンドリーだし、安いホテルに行けば世界中から旅人が集まっていました。チャイナタウンだけが少し危ないと言われましたが、比較的治安もいい。ただ、一つだけ問題があるといえば、雨が多いことです。それ以外は宿も安いし感動しました。

そしてアメリカ。僕が衝撃を受けたのは、目の見えないヨボヨボの細い白人のお婆さんが杖をついて道路を横断しようとしていた時に、黒人のめちゃくちゃ太ったおばさんが手を差し伸べるために全力疾走で近寄っていったシーンです。アメリカの映画を見ているようで感激しました。ただ、その前に僕はマクドナルドのようなファーストフード店でハンバーガーを食べていて、そのお店にクスリをやっていると思われる浮浪者っぽい大きな黒人が店内に入ってきて暴れ、パトカーと警官が大量に到着するというアメリカのちょっと怖い面を見ていたので、アメリカにはすごくいいところも悪いところもあるというギャップを感じました。

次にフィリピンです。僕はフィリピン留学の紹介をしているだけあって、何度もフィリピンには行ってます。その中で感じたのは、フィリピン人はめちゃくちゃ優しい。特に、子供や教え子に優しいです。こんなこと言っていいのかわかりませんが、明石家さんまさんのようにグループレッスンを盛り上げてくれる先生もいました。先生が授業を盛り上げるのって、生徒への愛情が必要だと思うんですけど、なぜかフィリピン人は持ってるんです。これは授業を受けてみないとわからないかもしれません。

ちょっと長くなるので、この話はここまでに。とにかく、それぞれの国に、それぞれの良さがあるんです。それは行ってみないと理解できないかもしれません。

ここで一区切り

僕の初めてのオーストラリアに行った話はここで一区切りです。この後、僕はテニスで全日本選手権に出たり、古本屋の事業を経営して少し成功したりしました。この時の経験がとても生きました。(※ただし、喫茶店と塾経営は失敗しました)

しかし、出版業会の衰退により古本屋の売り上げも減少し、さらにテニスコーチとしても40代に入り体が動かなくなりました。一応スタッフを抱えている身なので、みんなの生活の糧も作らなくてはいけません。そこで、自分が英語を勉強するために行ったのがフィリピンでした。

留学でも成長する!

次にセブ島留学関係の話をさせてください。セブ島はフィリピンにあるので、日本人にとって決して印象がいい国ではありません。多くの人から「何故わざわざフィリピンで英語を勉強するの?」と言われることがあります。でも、欧米じゃなくても英語は学べるし、普段の生活からも学べることがたくさんあるんです。今度はそれらをご紹介します。

言葉の仕組みを理解するきっかけになる!

皆さんは日本語の文法を理解しながら話していますか?ちなみに僕は文法を考えて話をしたり、書いたりしてはいません。それは何故かというと、中学生の時の学習をしっかりやっていなかったからです。さらに言うと、少しだけ覚えている部分ですら忘れてしまっています。(連用修飾語と連体修飾語の違いって覚えてます?)

ところが、セブ島留学で英語を勉強すると、しっかりと英語の文法から勉強します。最初は「それってどうなんだろう?」と思いましたが、勉強を進めると、やはり文法をしっかり学習するシステムは「非常にいい!」と実感できました。

そして、その副産物として、日本語の文法も勉強して理解できるようになりました。皆さんもご存知の通り、日本語の文法は非常に難しいのですが、僕は英語を勉強した後だと楽に覚えることができました。興味を持つこともできたんです。英語を勉強したことで、日本語の学習に補助輪がついた感じです。

知らない人との一緒の生活は想像以上に快適!

ここで突然ですが、皆さんは「いじめ」が一番発症しやすい環境をご存知ですか?実は人間関係が固定されると、「いじめ」が発生しやすくなります。

テレビのニュースや過去の体験を思い返していただければわかる通り、2年間同じクラスになる小学校や、お母さんたちが集まるPTAなどはいじめが発生しやすい環境です。それに対して、授業ごとにクラスメートが変わる大学の講義などではいじめは発生しません。

セブ島留学のグループクラスでは、ほぼほぼ100%同じクラスメートが変わります。同じメンバーが固まることはありません。しかも、各自の留学期間が終了すると人が入れ替わります。なので、毎週新しい人との出会いが待っています。これが、これがとても気楽で素晴らしい人間関係になるんです。日本のムラ社会のシステムとは全く違う世界でした。

出会いと分かればあるのが素晴らしい!

そして、先ほどもご紹介しましたが、セブ島留学では出会いと別れが繰り返されます。毎週月曜日に誰かしら入学してきて、金曜日に誰かしら卒業していきます。

仲良くなった友達と涙の別れもありますし、ちょっとムカつくクラスメートの別れも頻繁にあります。特に卒業は一大イベントで、そこで仲良くなる人たちもいました。僕のお客さんだった日本人留学生の話では、卒業式が終わった後に仲がよかった韓国人と抱き合ってみんなの前で号泣したら、そこから他の韓国人ともむちゃくちゃ仲良くなったそうです。なんとなくわかりますよね^^

フィリピン人講師からも学ぶところが多い

日本人はフィリピン人を見下しているところがあります。実際、見下したくなるようなことをしているダメなフィリピン人講師もいますが、尊敬できるフィリピン人講師との出会いもあります。

とにかく明るくてパワフルな先生は、比較的どこの学校でも見かけます。時としてグイグイ引っ張ってくれたり、全力で励ましてくれたりする真摯な姿勢は、ちょっと今時の日本の先生では見かけません。中には「フィリピン人の先生に説教をされたので、心を入れ替えて勉強した!」という日本人もいました。この姿勢から学ぶところは本当に多いです。

しかし、これにはちょっとした裏があると僕は考えています。実はフィリピン人のほとんどは厳格なキリスト教カトリックなので、毎週週末に彼らは教会で牧師さんの話を聞いています。おそらく、そういったところで格言やありがたい言葉を仕入れてきて、生徒に投げかけてくれていると思います。今思えば、僕に色々言ってくれた先生も、アメリカ映画に出てくるような言葉が多かったですね。

日本を好きになる!

次は、少し目線を変えて、日本のことをご紹介します。日本を飛び出て生活すると、日本のいいところが次々と見えてきます。それまで当たり前だと思っていたことが、ありがたいことだと気がつきます。星の王子様は短なところに幸せがあるというのが教訓ですが、留学も同じです。自分が日本という素晴らしい国に生まれたんだと実感することができます。

日本の安全は世界一

世界には治安がいいと言われる国はたくさんありますが、どの国よりも日本は安全です。もちろん、最近は外国人が増えて治安の悪化が・・・と言われますが、それでも外国よりは安全であることは間違いありません。

圧倒的に時間に正確

日本で生活していると、バスや電車が時刻通りに動くのは当たり前です。しかし、外国では公共交通機関は遅れるのが当たり前。もし時間通りだったとしても、前後に数分のズレがあっても問題にはなりません。また、バスの運転手がルートを間違えて運転することもありました。正確というのは、日本独自の文化です。

サービスが丁寧

日本のお店では、庶民のお店でもサービスが丁寧です。もちろん外国でも愛想のいい主人がやっているお店はありますが、それは本当に少しだけ。ほとんどのお店では、やる気の無い若者が働いています。彼らは「ありがとうございます」すら言えません。真面目なサービス精神も日本独自の文化と言えるでしょう。

テレビが面白い

海外にはとても面白いテレビ番組がやっています。しかし・・・実はすごい人気の番組以外は面白くありません。日本に帰ってくると、いくらでも面白いテレビ番組が観れる・・・これも本当に幸せなことです。

周りを気遣う文化

日本人は周りを気遣う文化です。僕はオーストラリアを格安の長距離バスで移動していましたが、隣にすごい太った人が座ったら、圧迫されてとても大変でした。落ち着いて寝れませんでした。また、同じバスにおばちゃん軍団が同乗した時も同じです。彼女らは夜でも大騒ぎするんです。話してみるととても良い人たちでしたが、とにかく周りに気を遣うという文化が無いんです。

日本の文化は本当に素晴らしい

最後に日本の文化の良さについて改めてお伝えします。日本の文化は独特です。どこの国とも違います。春に桜の花びらが散る姿を見て切なく思う気持ちや、日本庭園にある鹿威し(ししおどし・水差しのこと)が「カッコーン!」と鳴る音を聞いて何かを感じられるのは日本人だけだそうです。

このような文化の違いも、海外に出ればより深く理解できます。知っているだけでなく、肌で感じることが大事です。ぜひ、海外から日本文化を見直してみてください。

まとめ

いかがでしょうか?

このブログはまだまだ僕の書きたいことの半分も書けていません。もちろんそれは僕の文章力の問題です。でも、とにかくストレスを感じながら日本で生活していた僕が、海外に行って物事の考え方や性格が変わったことを多くの人に伝えたいと思っています。

もちろん、僕が伝えなくても留学や海外に出ればわかりますので、このブログを読んで少しでも共感して、海外に興味を持っていただけたら幸いです。行ける時に、ぜひ挑戦してください!

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